25歳の自分に伝えたい。理学療法士でいることで終わるな。
2026年、僕は40歳になりました。もし25歳の自分に一つだけ伝えられるなら、こう言います。
理学療法士でいることで終わるな。
理学療法士の知識を最大活用して、大海原に出ろ!
最初に言っておきます。
これは、
「理学療法士を辞めろ」
という話ではありません。
「病院を辞めた方がいい」
という話でもありません。
むしろ逆です。
僕は40歳になった今だからこそ、理学療法士として学んできた知識、技術、経験には、本当に大きな価値があると思っています。
だからこそ、その価値を自分で小さくしないでほしい。
理学療法士という資格の中に人生を閉じ込めるのではなく、その専門性を使って、自分なりの未来をつくってほしい。
今日は、そんな話をしたいと思います。
「理学療法士になる」が、人生最後の目標になっていないか
理学療法士を目指していた学生時代を思い出してみてください。
国家試験に合格したい。
理学療法士になりたい。
病院に就職したい。
一人で患者さんを担当できるようになりたい。
もっと治療ができるようになりたい。
学生から新人の頃までは、次から次へと目標があります。
目の前に登る山がある。
だから苦しくても頑張れる。
ところが、数年働くと少しずつ景色が変わってきます。
国家試験にはもう合格している。
理学療法士にもなった。
仕事にも慣れてきた。
後輩も入ってきた。
給料も毎月入ってくる。
患者さんも任される。
それなのに、なぜか心のどこかにモヤモヤがある。
「このまま病院で働き続けていいのかな」
「5年後、10年後の自分って何をしているんだろう」
「理学療法士として、この先何を目指せばいいんだろう」
そんなことを考える人は少なくないと思います。
僕も若い頃から、自分の人生を考える時に「夢」と「目標」を意識してきました。
当時の記事には、
「夢は幻であり、目標は未来である」
と書いていました。
夢を見るだけでは何も変わらない。
でも、その夢から「じゃあ何をする?」と目標をつくった瞬間、少しずつ未来が動き始める。
これは今でも変わらない考えです。
だから、今この記事を読んでいるあなたにも聞いてみたい。
理学療法士になった。その次の夢はありますか?
すぐに答えが出なくても大丈夫です。
僕だって、25歳の時に答えなんて持っていませんでした。
20代の僕は、完全に天狗になっていた
今だから普通に言えますが、若い頃の僕はかなり天狗になっていた時期があります。
理学療法士になって2年目くらいから、北海道のサッカー選抜のトレーナーをさせてもらっていました。
若かった僕にとっては、それが嬉しかった。
学会でその活動を発表すると、
「どうしたらサッカーの仕事ができるんですか?」
「一緒に仕事をさせてもらえませんか?」
そんなことを言われることもありました。
すると、だんだん勘違いします。
「あれ?俺、結構できるんじゃないか」
と。
怖いですよね。
でも当時の自分は、本当にそう思っていたと思います。
自分がいる環境の中では、少し珍しいことをしていた。
評価してくれる人もいた。
それだけで、自分の現在地をかなり高いところに置いてしまっていました。
そして、その勢いのまま道外へ出ました。
全国の学会にも行きました。
結果は、
見事に返り討ち。
北海道の自分の周りでは少し珍しかったことも、日本全国を見渡せば決して特別なことではなかった。
上には上がいる。
自分より勉強している人もいる。
自分より行動している人もいる。
自分よりずっと深く考えている人もいる。
恥ずかしかったですよ。
自分は結構やれていると思っていたから。
でも今思えば、あの「返り討ち」は僕にとってものすごく大切な経験でした。
なぜなら、
自分が小さいことに気づけたからです。
北海道の中だけにいたら、気づかなかったかもしれない。
日本の大きさを知った。
すると今度は、
「世界はどうなっているんだろう」
と思うようになりました。
井戸の中にいる時は、自分が井戸の中にいることにも気づきません。
外へ出て初めて、
「あ、自分が見ていた空って、こんなに小さかったんだ」
と気づくことがあります。
イタリアで聞かれた「あなたは日本で何をしているの?」
その後、2014年。
理学療法士6年目だった僕は、筋膜治療を学ぶためにイタリアへ行きました。
そこには世界各地から理学療法士たちが集まっていました。
講習そのものも刺激的でしたが、僕にとって忘れられないのはランチタイムです。
各国の理学療法士たちが、目を輝かせながら自分の研究や臨床について話していました。
「自分はこんな研究をしている」
「今、こんなことを調べている」
そんな会話が飛び交っていた。
その中で、一人のイタリア人理学療法士から僕に質問が来ました。
「あなたは日本で何をしているの?」
その時、答えられなかったんです。
英語がわからなかったからではありません。
自分の中に、胸を張って答えられる言葉がなかった。
「んー……臨床をしています」
それくらいしか出てこなかった。
日本では自分なりに勉強していたつもりでした。
筋膜治療についても最前線を学んでいるつもりだった。
でも、世界の人たちと同じテーブルに座った瞬間、
「自分って何者なんだろう」
と思いました。
結構、悔しかった。
恥ずかしかった。
自分にはまだ何もないような感覚になりました。
でも、この経験がまた僕の次の目標をつくってくれました。
「知らない」を知ったから、大学院という次の山が見えた
イタリアから帰ってきて思いました。
人から聞いた知識を伝えるだけじゃなく、自分自身で研究できるようになりたい。
臨床の中で生まれた疑問を、自分で考えて、自分で調べて、自分の言葉で伝えられるようになりたい。
でも、研究のやり方がわからない。
論文の書き方もわからない。
そこで、
「大学院へ行って、研究を一から学ぼう」
と思うようになりました。
※当時、僕が大学院を目指した経緯については、こちらの記事にも書いています。
→「理学療法士が大学院生になるために」
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2016年に受験を決め、指導してもらえる先生を探しました。
自分のやりたい研究を伝えて、実際にできるのかを相談して、準備をして。
そして翌年、働きながら大学院へ進みました。
ここで伝えたいのは、
「若いうちに大学院へ行った方がいい」
ということではありません。
僕にとっては大学院だった、というだけです。
臨床を極めたい人もいる。
教育へ進みたい人もいる。
研究したい人もいる。
管理職になりたい人もいる。
地域の人たちの健康に関わりたい人もいる。
新しいサービスや事業をつくりたい人もいる。
経営をやりたい人もいる。
そして病院の中で、誰よりも患者さんに必要とされる理学療法士を目指す人だっている。
全部いいと思っています。
大切なのは、
「自分はどこへ行きたいんだろう?」
と考え続けることです。
僕の場合は、外の世界を見たことで、自分に足りないものが見えました。
足りないものが見えたから、次に登りたい山が見つかった。
最初から人生の地図があったわけではありません。
むしろ、動くたびに地図が書き足されていった感覚です。
理学療法士の専門性は、病院の中だけで使うものではなかった
僕は長く病院で働きました。
そして今でも、病院で培った経験は自分の大きな土台です。
患者さんを見ること。
身体を評価すること。
なぜこの問題が起きているのか考えること。
仮説を立てること。
結果を見て修正すること。
相手の生活まで想像すること。
多職種と連携すること。
理学療法士として身につけたものは、病院の外へ出たから消えたわけではありません。
むしろ逆でした。
サッカーのトレーナー。
母校での授業。
講習会でのアシスタント。
講演。
執筆。
情報発信。
コンディショニング。
研究。
その後の事業づくり。
やっていることは少しずつ変わっていきましたが、根っこにはずっと理学療法士として培ってきた考え方があります。
20代の僕は、「理学療法士の仕事」と言われたら病院や施設で働いている姿を強く想像していました。
でも40歳になった今は違います。
理学療法士として身につけた専門性は、もっといろいろな場所で人の役に立てる。
だから僕は言いたい。
理学療法士という資格を“職業名”ではなく、“人生を広げる武器”として考えるようになりました。
理学療法士という専門性を使って、自分は誰のどんな未来をつくりたいのか。
そこだと思っています。
「北海道から世界へ」と思っていた僕が、もう一度北海道を見た
2018年に新しいWebsiteを立ち上げた時、僕は、
「北海道から日本へそして世界へ」
という言葉を書いています。
そして2019年には、ジュネーブで開催された世界理学療法連盟の学術集会で研究発表をしました。
若い頃の僕は、とにかく外を見たかった。
北海道の外へ。
日本の外へ。
世界へ。
外へ出れば出るほど、自分の知らないことを知りました。
同時に、北海道の良さも見えるようになりました。
不思議ですよね。
ずっと北海道にいる時より、北海道を離れた時の方が北海道について考えるようになった。
そして病院を離れることを考える頃、自分の中に残っていた気持ちがありました。
「北海道を置いてきぼりにさせたくない」
という気持ちです。
外で学んだこと。
出会った人たち。
広がった考え方。
それを北海道へ持ち帰りたい。
北海道の理学療法士たちにも、もっといろいろな未来を見てもらいたい。
そんな思いが少しずつ形になって、2020年に株式会社EzoRehaを設立しました。
→ 株式会社EzoRehaを設立した当時の想い
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株式会社EzoReha 設立
2020年4月6日 EzoReha.comを運用していた,北海道のセラピストコミュニティ「EzoReha」はさらなる北海道のセラピストの発展と北海道の健康を推進する事業を進めていこうと、株式会社Ezo ...
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でも、ここを勘違いしてほしくありません。
25歳の時から、
「将来は会社をつくってEzoRehaをやります」
なんて人生設計が完成していたわけではありません。
全然です。
外へ出て。
返り討ちに遭って。
恥をかいて。
知らないことに気づいて。
人と出会って。
また勉強して。
違う景色を見て。
そのたびに、
「じゃあ次は何をしよう?」
と考えてきただけです。
一つの挑戦が、次の目標を連れてきた。
次の目標が、また次の出会いを連れてきた。
振り返ったら、今につながっていました。
人生って、そんなものなのかもしれません。
夢は、会社をつくることじゃなくていい
「夢を持て」と言うと、
「自分にはそんな大きな夢はありません」
と言う若い人がいます。
でも僕は、夢をそんなに大げさに考えなくていいと思っています。
独立する。
会社をつくる。
世界で活躍する。
そんなものだけが夢ではありません。
どんな理学療法士になりたいか。
それも夢です。
誰の役に立ちたいか。
それも夢です。
どんな人生を送りたいか。
それだって立派な夢です。
もっと患者さんから信頼される理学療法士になりたい。
後輩に憧れられる先輩になりたい。
家族との時間も大切にできる働き方をしたい。
地元の人たちの健康に関わりたい。
専門分野を深く追究したい。
いつか教育に関わりたい。
まだわからないけど、今とは違う何かに挑戦してみたい。
全部いい。
誰かと比べる必要なんてありません。
夢の大きさを競う必要もない。
大事なのは、
自分の未来を、自分で考えることをやめないこと。
だと思います。
40歳の僕から、25歳の僕へ
もし今、25歳の僕が目の前にいたら。
少し偉そうになっていて、
自分はそこそこできると思っていて、
でも本当は将来のことなんて全然見えていなくて。
そんな自分に、僕はこう伝えます。
理学療法士でいることで終わるな。
理学療法士を辞めろって意味じゃない。
お前が今、必死になって勉強している解剖学も、運動学も、生理学も。
患者さんから教えてもらっていることも。
先輩から怒られながら身につけている技術も。
全部、これからのお前の人生の武器になる。
だから、
理学療法士として身につけた知識、技術、経験を最大活用して、大海原に出ろ。
お前が今見ている世界だけが、理学療法士の世界じゃない。
北海道の外には日本がある。
日本の外には世界がある。
病院の外にも社会がある。
そして病院の中にいたって、まだ見えていない役割がたくさんある。
もっとすごい人に出会え。
返り討ちに遭え。
恥をかけ。
自分の未熟さを知れ。
できない自分を認めろ。
その度に、また次の目標をつくればいい。
最初から40歳の未来なんて見えてなくていい。
今のお前には、絶対に想像できない未来がある。
だから、
夢を持ち続けろ。
そう伝えると思います。
あなたは、その次に何を目指しますか?
ここまで僕自身の話を書いてきました。
でも、この記事の主役は僕ではありません。
この記事を読んでいる、あなたです。
理学療法士になった。
毎日仕事もしている。
患者さんにも向き合っている。
でも心のどこかで、
「このままでいいのかな」
と思っているなら、一度だけ考えてみてください。
あなたは、どんな理学療法士になりたいですか?
誰の役に立ちたいですか?
どんな人生を送りたいですか?
今すぐ答えが出なくてもいいです。
僕も25歳の時、40歳の自分なんて全く想像できていませんでした。
でも、自分の未来について考えることをやめなかった。
外へ出てみた。
失敗した。
また考えた。
また動いた。
その繰り返しでした。
だから、理学療法士になったことを人生最後のゴールにしないでほしい。
せっかく手に入れた素晴らしい専門性です。
それを最大限使って、自分にしかつくれない未来をつくってほしい。
臨床を極めてもいい。
教育へ行ってもいい。
研究してもいい。
管理職になってもいい。
新しい事業に挑戦してもいい。
地域や社会のために使ってもいい。
そして、まだ何をしたいかわからなくてもいい。
まずは、
「自分はこれから、どんな人生を送りたいんだろう」
そこから考えてみてください。
理学療法士という素晴らしい武器を持って、
自分なりの大海原へ。
夢を持ち続けろ!
EzoRehaについて
EzoRehaは「希望と未来の創造」を目指し、理学療法士一人ひとりの可能性を広げることを大切にしている会社です。
この文章を読んで「EzoRehaって、どんな会社なんだろう?」と少しでも思っていただけたなら、まずは僕たちが何を考え、どんな人たちと未来をつくろうとしているのかを知ってもらえたら嬉しいです。
理学療法士という素晴らしい武器を持って、
自分なりの大海原へ。
何者になるかなんて、今決まっていなくていい。
失敗してもいい。
遠回りしてもいい。
途中で夢が変わってもいい。
ただ、自分の未来を考えることだけはやめないでほしい。
僕自身も、まだ大海原の途中です。
40歳になった今も、次の夢があります。
だから僕も挑戦し続けます。
夢を持ち続けろ!
これからEzoReha MEDIAでは、理学療法士という資格の先にある、いろいろな未来について発信していきます。
技術。
キャリア。
挑戦。
成長。
仲間。
若い理学療法士がここを読んだ時、
「自分の未来って、もっと面白いかもしれない。」
そう思える場所を、北海道からつくっていきます。